以下は、あるゼミで使った私の資料。
挨拶
紀田順一郎 『日本語大博物館 悪魔の文字と闘った人々』 ジャストシステム、1994年、311頁 を一夜漬けでまとめました。
幕末活字顛末木
カナに生き、カナに死す
漢字亡国論の登場
- 明治初期。自分の姓名を書けないものが四割近くに達する時代
- 教育の能率を上げるために漢字を制限する主張が出る。
- 明治2年、日本近代の国字改革論のはじまり
- 明治19年(1886)、横書きカタカナ
- 政治家で演劇改良論者の末松謙澄(すえまつけんちょう)が、『日本語文章論』において、カタカナの横書き採用とその字体の開発を提案。しかし、立ち消えに。
- 大正3年(1914)、左横書きのカタカナ
主張
- 普通教育で4000-5000文字の漢字を覚えなくてはならない。
- 同じ文字で違う読み
- 字画が多い
- タイプライターが使えない。もし、使うことが出来れば、西洋に並ぶことが出来る。
- >手間だ。本来、文字は知識を伝える手段にすぎない。
活動
- カナの頻度を調査し、キーボードの配列を考案
- 統一感を持たせたカタカナ専用の字体の開発。
山本の死後
- 有力新聞社への漢字制限の呼びかけ
- 会員の増加。1万人のときもあった
- 井の頭公園の標識や説明板をすべてカナに。
- 駅名の左カナ書きの建議。成功したが、国粋主義の大臣に右ひらがな書き戻された。
- カナ書きの本の出版(論語や万葉集までも!)
このような活動も戦争で中断される。
しかしながら、戦後、元カナモジカイのメンバーの日本語への運動は続いた。
ローマ字国字論の目ざしたもの
- 秀吉の時代、日本にローマ字が伝わったが、鎖国になったため普及しなかった。
- 江戸時代にはいくつかの知識人によるローマ字への言及や提案が行われたが、まだ正しい書き方も確立されていなかった。
- 明治17年(1884)、羅馬字会の結成
- 外山正一、矢田部吉良による
同じ頃、アメリカの長老派 宣教師ヘボンによる『和英語林集成』第三版がローマ字表記を採用。ヘボン式(所謂、標準式)を広めた。
- 50音図にした場合も覚えやすい
- 日本語の動詞変化や音便を理解するにも便利で日本語の性格にあっている
ヘボン式 | shi,ji,chi,fu |
日本式 | si,zi,ti,hu |
その後、
官庁の業務上の採用方式もバラバラ
日本式 | 中央気象庁、逓信省、陸海軍 |
ヘボン式 | 文部、外務、鉄道省 |
日本語改造法案 人工言語に賭けた人々
大正から昭和初期に新国字論者が登場。
- 石原忍
石原式は、日本人に近視眼者が多いかを実感したという個人の経験がベース。そのため、字体も画数が少なく、字形も単純なのが特徴。
縦のものを横にする
横書きは外国語辞書からはじまった。1885年ごろから。
- 明治末期、大正時代
- 異を唱える動き
- 眼科医の勢力
- カナモジカイの勢力
- 西洋紙とペンの時代に合理的
- 数字や原語を挿入するのに便利
- 横書きの帳簿と連絡する請求書
- 眼の衛生上
- タイプライターなどをそのまま受け入れられる
- 1942年、戦後の翌年
- 文部省の音頭で、左横書きへの統一へ
- しかしながら、すぐに普及したとは言いがたい。縦書きの方が読みやすいという意見も。また、戦前に横書きが普及しなかったのは、公用文章に横書きが認められていなかった。
- 昭和27年(1952)、公用文章の作成の要領
- 猶予つきで横書きへ移行
- 作者: 紀田順一郎
- 出版社/メーカー: ジャストシステム
- 発売日: 1994/01
- メディア: 単行本
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